発注側のPMとして「アジャイルを使いこなせ」と言われても、開発の専門用語や現場のリズムが腹落ちしない——その戸惑いは自然です。本稿は、事業会社の企画・業務部門での経験とITコンサルの知見をもとに、Scrum(スクラム)とKanban(カンバン)を“公式情報”に依拠しつつ、発注側PMの意思決定・合意形成・委託管理に役立つ具体例で徹底的に解きほぐします。参照元としては、Scrum Guide(公式)https://scrumguides.org/、アジャイルソフトウェア開発宣言(公式)https://agilemanifesto.org/iso/ja/manifesto.html、Kanban University(公式)https://kanban.university/the-kanban-method/、そしてScrum.orgのKanban Guide for Scrum Teams(公式)https://scrum.org/resources/kanban-guide-scrum-teams を用います。
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発注側PMのためのアジャイル基礎を整理:価値・原則をビジネス視点で、合意形成と委託管理の観点から
アジャイルは「速く作る技法」ではなく、不確実性の高い領域で価値学習を早回しするための経営・マネジメント手法です。要は「リスクを小さく刻み、検証の頻度を上げ、投資判断を継続更新する」ための作法。発注側PMの視点では、要件の完全固定を前提に管理するのではなく、価値仮説と制約(予算・期限・法令・品質)を握りつつ、検証結果で優先度をリプランするガバナンス設計が肝になります。
アジャイルの土台は「アジャイルソフトウェア開発宣言」です。原典は公式サイトに日本語版があり、価値観と12原則が明示されています(https://agilemanifesto.org/iso/ja/manifesto.html)。発注側の解釈ポイントは「契約交渉より顧客との協調」を“契約軽視”と誤読しないこと。むしろ、契約は「適応を可能にする枠組み」に変える、ということです。つまり、変更を前提にした合意形成と、変更時の意思決定・費用の透明性が重要になります。
発注側PMの主要責務は、プロダクトの事業目的(アウトカム)を言語化し、優先度と制約を明確にした上で、ベンダーの実装判断を阻害しないことです。アウトプット(機能点数)ではなくアウトカム(採用率、転換率、手作業削減など)で進捗を測る設計が有効です。Scrum.orgのEvidence-Based Management(EBM)は、価値を指標で捉える枠組みを提供しています(https://www.scrum.org/resources/evidence-based-management)。

具体の合意形成では、プロダクトゴール(到達像)、優先バックログ(仮説の順番)、受け入れ基準(何をもって完了とみなすか)、制約(法令・セキュリティ・ブランド)を明示し、変更時の判断フローを定義します。これは「巨大SOWで全てを先に釘付けにする」よりも、バックログとポリシーで生きた契約を運用するイメージです。Definition of Done(完成の定義)を共同で作ると品質期待が揃い、検収の摩擦が減ります。
契約と調達は、アジャイルに合わせて設計を変える必要があります。代表例はCapped T&M(時間精算+上限)、段階的固定(DiscoveryはT&M、Deliveryはスプリント単価の定額)、または価値ベースの成功報酬の組合せです。固定スコープ・固定価格だけで走ると、学習で得た重要な変更が受け入れにくくなります。変更の頻度と影響に応じた「変更窓口・承認基準・原価の見える化」を契約条項に組み込みましょう。
現場運用では、経営・現場・ベンダーの三者で意思決定のリズムを共有することが効きます。隔週レビューで方針を合わせ、スプリント境界で予算執行とリスク見直し、月次でステアリングコミッティにエスカレーション。可視化ボード(スクラムやカンバン)を共通の真実の源泉にし、「今どこに詰まりがあるか」を数値と実物(インクリメント)で示せば、抽象論の泥仕合を避けられます。
公式スクラムガイド準拠で理解する:イベント・成果物と契約・見積の勘どころを事例で学ぶ
スクラムの唯一の公式リファレンスはScrum Guideです(https://scrumguides.org/)。2020年版は軽量かつ目的志向で、スクラムチーム(プロダクトオーナー、スクラムマスター、デベロッパー)の3つのアカウンタビリティ、5イベント、3アーティファクトと、それぞれのコミットメント(Product Goal、Sprint Goal、Definition of Done)を定義しています。発注側PMは、この最小構成を崩さない範囲でガバナンスを被せるのが基本です。

イベントの要は、スプリントプランニング(方針=Sprint Goalと最優先の価値仮説を握る)、デイリースクラム(開発者の戦術調整。発注側は原則参加不要だが情報共有は受ける)、スプリントレビュー(実物でのステークホルダー検証。発注側はここで意思決定を出す)、レトロスペクティブ(プロセス改善)です。レビューこそが実質的な「検収の前倒し」であり、ここでのフィードバックが次の投資判断に直結します。
アーティファクトは、Product Backlog(全ての価値仮説の並び。コミットメントはProduct Goal)、Sprint Backlog(今スプリントの計画。コミットメントはSprint Goal)、Increment(完成物。コミットメントはDefinition of Done)です。受入・検収はIncrementがDoDを満たしているかで判断します。SOWでは機能一覧ではなく、DoDと非機能要件、セキュリティ基準、レビューでの検査手順を明記する方が現実的です。
見積は時間の厳密計測というより、不確実性下の予測です。ストーリーポイントやTシャツサイズ(S/M/L)で相対見積し、ベロシティ(完了ポイントの実績推移)からレンジで予測するのが定石です。ポイント=時間の換算は避け、スプリントあたりの投資額(チーム定額)とベロシティの実績から「いつ頃どの程度の価値が届くか」を確率で語るのが健全です。価値指標と併用するなら、EBM(https://www.scrum.org/resources/evidence-based-management)が有効です。
契約に落とす際は、スプリント定額と変更のしやすさを両立させます。例:2週間スプリントでチーム単価300万円、常に2スプリント先まで資金手当て、レビューでアウトカムが悪ければ優先度を即入替え、支払いはDoDを満たすインクリメントの受領で実行。ポイント払い(1ポイントいくら)はゲーム化を招くので避け、成果の検査(レビュー+DoD)に紐づけるのが安全です。
事例:営業支援アプリの刷新。Product Goal=「新規商談の初回アポ率を2倍」。最初の2スプリントで「名寄せアルゴリズム改善」と「テンプレート提案」を優先。レビューでアポ率が伸び悩んだため、3スプリント目は「リードスコアの閾値調整」と「問い合わせ動線の短縮」にピボット。契約はCapped T&M、ステアリングでKPIの閾値と投資継続可否を毎スプリント判定し、4スプリント目で目標達成後に段階縮小。
スクラムを“準拠運用”するコツは、イベントの目的とコミットメントを曖昧にしないこと。発注側はレビューで「何をもって価値が出たとするか」を数値とユーザー行動で語り、プランニングでは「Sprint Goalに不要な仕事」をあえて外す意思決定を支えます。レトロスペクティブでは契約や承認フローの遅延も議題に入れ、発注側のボトルネック(意思決定の遅さ、環境準備の不足)も改善対象にします。
カンバンの公式原則と運用実装:WIP制限・可視化・フロー改善を発注側で支援する現場事例つき
カンバンは、今あるプロセスに「可視化」「仕掛中の上限(WIP制限)」「明示的なポリシー」「フローの計測と改善」を導入して、リードタイムを安定・短縮する方法です。公式の原則とプラクティスはKanban Universityに整理されています(https://kanban.university/the-kanban-method/)。スクラムに馴染まない保守・運用、複数ラインの兼務チーム、定常業務が多い部門で特に効果を発揮します。
実装の第一歩は「ワークフローの可視化」と「ポリシーの明文化」です。To Do → Analysis → Development → Review → Deployのような列を定義し、各列に進める条件・戻す条件・手待ち条件を明示します。優先順位はBacklog列の上から引き取るPull型にし、Expedite(緊急枠)などのサービスクラスもポリシー化します。スクラムチームでも、カンバンのプラクティスは併用できます(参考:Scrum.org Kanban Guide for Scrum Teams https://scrum.org/resources/kanban-guide-scrum-teams)。
WIP制限は「一度に抱える仕事の数」を抑えて、着手から完了までの時間(サイクルタイム)を短縮するためのレバーです。WIPが増えるほど待ち行列が伸び、手戻りも増えます。最初は各列のWIPを現状より少し低く設定し、停滞が起きたら原因(外部承認、レビュー待ち、環境待ち)を特定してボトルネック対策を打ちます。発注側は「同時依頼の出し過ぎ」をやめ、到着率(新規要求の流入)をコントロールする役割を担います。
フロー改善には、4つの基本指標が有効です。リードタイム(依頼から完了)、サイクルタイム(着手から完了)、スループット(単位期間あたりの完了数)、WIP(仕掛中)。これらを週次で可視化し、パーセンタイル予測(例:85%のアイテムは10日以内に完了)で納期の現実的な約束をします。Scrum Teams向けカンバンガイド(https://scrum.org/resources/kanban-guide-scrum-teams)にも指標活用の考え方が整理されています。
発注側ができる支援は具体的です。外部承認(セキュリティ、法務、ブランド)のSLAを定め、Expediteの乱用を禁止し、イテレーション境界に依存しないデプロイを許容する方針を整えます。到着率を抑えるために「受付ポリシー(Capacityに応じて週に入れる件数の上限)」を運用し、緊急案件は既存のWIPを一時停止してスワップするルールにします。これにより「詰まりの見える化」が「詰まりの解消」へとつながります。
事例:バックオフィスのRPA運用チーム。導入当初は一括依頼で平均リードタイムが30営業日。ボードをAnalysis/Build/Test/Ready/Liveに分割し、Analysis=2、Build=3、Test=2のWIP制限を設定。法務レビューがボトルネックだったため、隔週のレビュー枠とテンプレ化で待ち時間を半減。到着率は受付会議で週5件に制限し、Expediteは常時1件のみ。結果、中央値リードタイムは12営業日、85パーセンタイルでも18営業日に短縮、業務側の納期信頼度が向上しました。
スクラムとカンバンは、どちらも「早く」「安く」だけを狙う魔法ではなく、学習速度と意思決定の質を高めるための枠組みです。発注側PMにとっての要諦は、公式ガイドに忠実な最小ルールを守りつつ、契約・合意形成・到着率管理という“自分の責務”で現場のフローを支援すること。今日からできるのは、価値指標の言語化、DoDと受け入れ基準の明確化、レビューと可視化の定例化、そして到着率の制御です。あなたの現場に合わせて“小さく始めて、頻繁に学ぶ”を実践してください。


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